本物のヘナに出会ってからも、何度もインドを訪れました。そして、もう何度目のインドなのかもわからなくなってきた頃に、インディゴの生産地である南インドの、ポンディシェリー近郊のトリバラマナイという村に訪る機会に恵まれました。この地域は、インドが英国によって支配された当時、フランス領としてその統治を受けていた地域です。その影響でホテルや観光地は、フランスに統治されていた頃の面影が色濃く残されています。
何故この地のインディゴなのか
英国が支配した地域では、インディゴの生産は規制されていました。 その理由は、質が高いインディゴは英国が扱うケミカル染料のシェアを奪ってしまう恐れがあったからです。 しかしポンディシェリーなどのフランス領だった地域は、その規制から逃れられ、結果、インディゴの生産は脈々と受け継がれていくことができたのです。
とにかく広大なインド。広いインドを移動するには、いつも国内線を利用することになります。 このインディゴ視察に最適な航空会社が、インディゴエアーでした。 南インドの中心チェンナイをハブとした航空会社で、インドでも最高益を出している航空会社です。
インディゴ農場がある南インドではヒンズー語が通じません。 南インドでは主にタミール語が使われているためです。インド人同士でも、コミュニケーションに問題が起こってしまうほどで、 どちらの言語にも通じている人が必要だったのですが、 最適な人材は意外なところから登場しました。それは、 ジャイプールゴールデンという運送会社のマネージャーでした。 彼は、私達の流通にも大きく関わってくれている人物で、インド全土の取引先とやりとりする関係で、 どちらの言語ににも通じており、頼もしい味方となってくれました。
インディゴ農場までの道程は、農業率の高い南インドならではの光景が続きます。多くの家はバナナの葉でできており、 大きなサイクロンや自然災害には弱い反面、再建するコストが非常に安いというメリットがあります。また年中30度を超える多雨の地域において、バナナの葉でつくる家の構造は合理的でした。
インディゴ畑に到着すると、成長段階ごとに畑が区分けされていました。インディゴは早ければ3ヶ月ほどで収穫が可能です。 あまり成長しすぎると、葉の品質が悪くなるのですが、これはインディゴの持つ成分が酸化反応を起こし色素を失ってしまうためです。
栽培されたインディゴは刈取られると同時に乾燥しはじめます。南インドは気温が高いため、インディゴの葉はほんの数時間で乾燥します。 収穫されたインディゴは、専用の乾燥場所に運ばれます。 適度に乾燥された状態になったら、葉と枝に分別されます。 分別された葉は、アルシア工場に搬入され、更に細かく選別が行われます。 インディゴは、品質管理が難しく、湿度や乾燥工程により、品質に大きな差がうまれます。 それをコントロールすることは、伝統的にインディゴ生産を守ってきたこの地域だからこそ、可能なのです。
インディゴを髪に使う歴史は浅く、元は繊維業に使うインディゴケークという生産物を製造していました。 その工程ですが、大きなプールに水を張って、そこにインディゴの葉を漬けこみ、発酵させた水溶液を乾燥させることで作られます。 できあがったインディゴケークは、高品質な藍染やジーンズの染料として世界中で活用されています。 この地にインディゴケークを求めて、日本人が訪れることもあるそうです。
この産地には、ヘナの業界関係者がよく訪れます。インディゴの買付けが目的なのですが。 これがなかなか上手くいきません。なぜなら、インディゴはヘナのように、安定的な生産や基準が確立されていないためです。 良い品質のインディゴだけを選ぼうにも、農場自体の生産量に限界があるため、そもそも選ぶことなどできないのです。 また彼らの中には旧来のインディゴケークのための生産を行い、髪に使用するという前提がない人も多いのです。
品質管理の難しいインディゴは、現地の農場と何年にも渡り築いた信頼があってこそ、良質なインディゴ葉を手に入れることができます。 私はインディゴの産地を訪れたことで、その生産や流通の難しさを知り、現地とのリレーションの大切さを学びました。 インド人という、習慣や考えの違う人々とビジネスをするためには 人間同士の壁を乗り越えることから始まります。 お互いの理解があってこそ、良い製品を日本に届けることができるのだと、確信しています。